30代から始めるトレーニング

30代から始める筋トレ方法などについて。

長く続けるコツ

他人に運動を勧めると、「続かない」ことが理由で始めない、という人が多い。次が「続かなかった」、その次が「続けられるものはないですかねー」というリアクションだったりする。僕はブログの更新が続かないのでその気持ちはよくわかるし、実際僕はあきっぽい方だったので、トレーニングを長く続けられたコツを紹介します。

 

お金の力はすごい

実は僕は本当に飽きっぽく、子供のころは長続きしたものはなかった。塾もバスケも、やりたくてしかたなかったゲームですら、結構はやい段階で飽きてしまった。

そんな僕が長続きしたのは、20歳から始めたギターだ。トレーニングとは全然関係ないが、ギターは長続きした、と言える。ギターを始めた時、もう飽きっぽくてやめることが明らかな自分に対して言い訳を作らないよう、当時の自分としては破格の10万円overのギターを買った。「勿体なくてやめられない」という、貧乏学生には背水の陣を強いたのだ。実際問題ギターにはのめりこんだのだが、もちろん「飽きる」こともある。特に最初のころはすごく多い。だってつらいもの。しかし金の力は偉大で、「買っちゃったしなぁ…」と続ける力になってくれたのだ。

ここには大きなヒントがある。一つは、ものすごくお金をかけてしまうと「もったいない」という気持ちで自分を強制できる、ということだ。ジムや流行りのトレーニングに数十万かけるのもいいのかもしれない。

 

お金をかけずに続けるには

しかし、「お金をかけない」ことを信条にしているこのブログでは、そこはあえてコツとしないことにする。僕が言いたいのは、「自分はアレを続けられたんだから、これも続けられるはずだ」と自分を信じる心だ。

僕は昔、技術を必要とする仕事をしていたのだけれども、その時も練習をものすごく重要視した。「あの人が助けてくれるはず」と他人を信じるのはすごく簡単だが、自分がやるしかない時に「自分ならできる」と信じることはすごく難しい。怠けてしまった自分や、本番に弱い自分を一番よく知っているのは自分だから。

だから僕は練習を勧めるし、その結果無理だったとしたら、しょうがなかったと諦められる(実際は可能にする方法を考える必要が発生するのだけれども)。

だから、かつての受験勉強や禁煙、節約や仕事など、他に頑張っていることを思い出せば、トレーニングも意外に続けられる…と思うのだ。

 

パートナーと一緒にやる

もし恋人や親しい友達がいるならこれが最適だと思う。一緒に始めることだ。

僕も日常的に始めるきっかけになったのは、当時の彼女のダイエットの付き合いから。自分が「今日はやりたくないなー」と思っていても、パートナーが誘ってくれた。逆にパートナーがいまいち乗り気じゃない時、「始めようかな」と言い出すと、彼女も始める、ということが多々あった。こういう時は動き始めてから数分過ぎると、意外に最後まで運動してしまう。これは歳を重ねても同じらしく、我がサボりがちな父は、母が体操を始めると運動を始めるらしい。

一応科学的に言えば、「やる気」は脳の「側坐核」と呼ばれる部分が司っている。側坐核は動く前に「やる気」を出すのではなく、「動き始めてから」やる気物質を分泌する。なので、基本的には「始めないとやる気がでない」「やってしまえばできてしまう」と理解しておくと、だいぶ気持ち的に楽なはず。

 

新しいことを始める

何でもそうだが、新しいことを始めた時は何もしなくてもすごくやる気が出る。というわけで、多少続けたら別の方法にトライするのも良い。そういう意味でも、convict conditioningは段階が多いので変化をつけやすいし、始めてから1年たった今も飽きていない。ブートキャンプやPT24/7が1年続けると飽きるのに比べるとこれは大きな違いだと思う。1年ごとにプログラムを変えるのもありだと思うけど、そもそも1年続いたらそれは継続できている、といえるのかも知れない。

さて、先ほど「側坐核」について記載したが、「側坐核」がいきなりドン、と動くことがある。これは脳の「海馬」という記憶をつかさどる部分が動く場合なのだけど、要するに「未経験」なことは「刺激」として脳が受け取るため、「側坐核」が動く。

この刺激が何度も与えられると海馬は慣れてしまい、「側坐核」はいきなりドンとは動かなくなってしまい、先ほどの「体を動かす」という「刺激」が必要になるわけだ。

 

やりたくない時はやらない

僕が一番重要だと思うことは、「どうしてもやりたくない時はやらない」ということだ。誰にだって気分が乗らないことはあるし、仕事でどうしてもできない時もある。僕はストレスを貯めないため、健康のためにやっているので、運動がストレスになってしまっては元も子もないと思っている。「一回休むとやらなくなってしまうのでは」という人もいるけど、また始めようと思った時にやればいいと思う。多分その人にとって、その時は運動よりも大切なことがあるから。僕だってそうだった。

運動はやりすぎれば負担になるし、その負担を「なんとなく」でも感じられるのは「気持ち」だ。「気持ち」は(科学的には)脳で感じている。よく「心が痛い」と表現するけど、実際に「心が痛む」くらい悲しいとき、脳では痛みをつかさどる部分に非常に違い部位が活動しているという。失恋した時は骨折した時と同じくらいの痛みを感じているという話もある。だから、怠けたい気持ちもないわけじゃないけど、どうしても気が乗らない時はどこかしらに負担がかかっていて、僕はやるべきじゃないと思っている。

でも、最終的に健康であればいいんじゃないか。2年後くらいに運動が必要になった時にまた始めて、60歳の時に健康だったらそれでOKじゃないかな。

過去に死ぬほどギターを頑張れた自分がいて、将来的に健康でいられるメリットを知っている僕であれば、運動を2週間くらい休んだところで60歳の僕にはにあまり影響ないのだ。